先輩がひとりもいない世界というものは、
たいていなんの肯定も否定もできない寒いさむいゼロからのスタート。
勉強本位で入学しても、
シラバスや授業だけにずーっとワクワクし続けるのは、けっこう難しい。
ほとんどがハタチ前後の若者、余力や器用さってのも十二分にあるもんです。
1年生だけのキャンパス。
課外活動をやりたけりゃもちろん、仲間あつめからはじまります。
それが上手いとか下手とか、そんなんじゃなく、
まずは同じことをちょっとでもやりたいって思う人を、とにかく探す。
ウワサや評判に耳をダンボにしたり、そいつのにじみ出るオーラなんかを感じ取ったりして。
ある意味、「ビッグバン」のような光景なのかもしれません。
付き合いも伝統も上下関係もとりわけない、
今でいう引きよせの法則のようなものが、ゆっくり「コア」を形成していく。
太陽系で何億年もさまよう小惑星帯のように、ざんねん成り立たないものも多い。
久喜キャンパスが開校した空虚な頃なんぞは、果たしてそりゃどれだけなのでしょう。
もし、きっかけやスキームが予めあれば、なんてすばらしいこと。
ただ、それは変なレールじゃない、ポジティブでレスポンシブなという意味で。
また、高校と大学の大きな違いは、ここにもあるような気がしています。
そこを上手に巧みに手を差しのべてあげられるのは、優れた熱い上級生だと思います。
特に体育局の4年生やOBOGは、この大学で得たベクトルや社会での有意義な経験を、
大局に沿って吟味し、還元してあげることができる寛大な大人です。
一年生の暗中模索な不安感に、明るいともしびをかざしてあげられる四年生やOBOG。
後輩はその恩恵を存分に受けて200%以上の大学生活を送るも良し、
と同時に、アントレプレナー精神を養うのにも良し。
ギブ・アンド・テイク。 理科大の実力はもっともっと、伸びる。
先輩としての経験は、後輩のアンテナを刺激し、そしてお互いの楽しさの向上に「必ず」役に立つから。